中公新書「取材学」加藤秀俊1975

1975年のちょと古い本。爆発した情報をいかに扱って知的生産につなげるかという問題意識があるようだ>まえがき

1 取材とは何か

 "材料七分、腕三分"
"材料が悪かったらどうにもならない"3
"技術論を聞くつもりで行ったつもりなのに、会話は、しばしば材料論に終始した。 〜略〜 強いて技術論があったとすれば、それは材料を見わける技術についての議論であって、けっして加工の技術についてではなかった"6
情報収集=取材 この本は情報リテラシー
今この本を出すのだったら編集術のような本になるだろうなあ

 "問題の発見能力の開発"
"「問題意識」をもて、 〜略〜 もっと平易にいえば、自分の興味対象をはっきりとさせよ"25 =好奇心
"日本における教育というのがこうした自発的な問題発見を奨励するどころか、むしろ抑圧することをその基本にしている"26

2 文字の世界の探検(その一)

図書館利用の章。
リファレンスブックは総記・百科事典の利用

3 文字の世界の探検(その二)

新聞利用の章。
業界し、業界団体にあたる

4 耳学問のすすめ

もの知りに聞く、やっている人に話を聞く、生きている人の生きている言葉を聞くこと
話をきくということは、問うということ。
"ひとの話をきくまえに、はっきりさせておかなければならないのは、自分にとって何が問題であるのか、についての自己確認である"107
はなしをきく作法:相手の都合、アポ。事前情報、基礎情報。よい質問を用意する。謙虚さ。謝礼。
ひとの話をきくためには、こちらもよき話し手である必要がある。参考:対談集を読んでみる
"ひとに会って話を聞くという取材のしかたは、一種の弁証法的過程の中に身を投じるということなのである。答えるがわの人間は、問いをうけることによって、それまで考えてもみなかったことに気がつき、その答えをえた人間は、さらにそれまで用意していなかった重要な問いを発見してあらたな問いを組み立てる"118
問う立場と答える立場とは交換的。相互学習。

5 現地を見る

現地に旅行する・博物館に行く・郷土関係の本を読む
道具:紙と筆記具・レコーダー(相手の許可)・カメラ
"生きた社会と人間を相手にした学問のばあいには、ことばによる理解だけでは不十分なのである。"
現地への入り方もいろいろなものがある:大学(公文書)、知人を通じて、ひとりで
・長期間の取材は情報の確かさを増す。
・たくさんの情報源をあたる。
・現地に浸りながら、なお決して溺れない。参加観察法。

6 取材の人間学

"情報についても、そのたしかさを鑑定することがどうしても必要になってくる"156
"批評というのは情報鑑定、情報評価ということにほかならず"157
"すべての批評家もまた信用できかねる 〜略〜 批評家・評論家の力量をわれわれ自身で評価する"159
"大学の先生というのは、それぞれの道の情報鑑定家である。ある問題についてどんな本を読んだらいいか、とか、こんな論文を見つけたが読むに価するだろうか"159
"能率のための能率というのは、実のところ愚かなことなのである。私が取材の能率化を強調するのは、ほかでもない、その能率化によって得られた余分な時間と能力を、うんとムダで無目的なことに使いましょう、と言う提案をしたいからなのである。"160 →無目的な知的散歩、百科事典散歩、書店・図書館散歩に充てよう
専門にこだわらないようにしよう
知的散歩の効能
・雑学の幅が広がり、知的好奇心の方向が多様化する
・いつの間にか「問題」を拾っている、アイデアが浮かんでくる
・情報の鑑定眼が身についてくる
"徳富蘇峰は、図書館といった大きな資料の宝庫を作るには「気力、根力、金力、熱力」の四つの条件がなければいけないといった"167
"社会的・人間的条件には一定の限度がある。 〜略〜 とりあえず暫定的にきりをつけなければならないのだ 〜略〜 えんえんとつづけているうちに、自分の一生に限度がある、という一番大事な条件を忘れてしまうことがある"170
"学問も芸術も、まったく無制限の中で進展するとはわたしはかんがえない。いろんな制約がある。だがその制約を十分に承知のうえで、それなりに立派、というとらえかたがあるのではないか。 〜略〜 キリをつける、というのは、ある制約のもとでどんなふうに最善をつくすかについて見きわめをつけるということだ。この見きわめの能力が、ややもすればやたらにだらだらと無秩序で収拾のつかなくなりがちな取材をキリッと引き締める力なのである。なんごとにもキリがある。"174
"接触するすべての人びとは教師なのである。われわれはそれら多くの人びとから学びながら成長する。取材ということは、学ぶということでもあったのだ。"175
取材した情報の取り扱いに関する倫理
・オフレコ
・"世の中には軽率な正義派というのが存在しているもので、およそ秘密というものはあってはならない、と信じている人がいる。"176www・無用の迷惑や被害を与えるような発表はさしひかえるべき
・実名、地域を架空のもので代替し、取材もとに影響の出ないようにする
・情報を取捨したり、要約したりしているあいだに、ほんとうにだいじなことが歪められたり、忘れられたりする可能性がきわめて高いのである。
"取材者の警戒すべき悪徳は独善と尊大である。目標とすべきは、人間的愛情と謙虚さである。"181


ジャーナリズムのHawTo本から情報のリファレンスまで。少々情報が古いが、重要事項は今になっても通用することが結構あった。
1975にはこういう方法で情報を参照し編みあげていっていたんだなーという面も垣間見れる。ネット主流の現在からすると隔世の感。
@廃。